JPN150  SHARK  J    ずっと昔の話

今まで乗ってきた船をご紹介します。こんなものに乗ってきたから今のSHARK Jを作る気持ちになったのだと、ご理解頂ければと思って昔の写真を掘り出してみました。
写真はクリックすると大きくなります。

写真はシーラス142号艇です。ハルがFRPでデッキがベニア、高校1年の時に自作しました。Y15と同じようなワンデザインクラスでしたが、デッキ回りは505を真似してほとんどオリジナルで作ってしまいました。この前には、横山一郎氏の父上の書いたヨット自作法と言う本を片手に、2.4メートルのキャットリグのヨットを自設計自作で、自宅の自室で作りました。ベットの隣はヨットだったわけでまさに寝食をともにしたのが私にとって自分の初めてのヨットでした。この頃は耐水ベニアも普通の建材用しか手に入らず、接着剤もエポキシなどは噂に聞く程度、尿素系というのはほとんど今の木工用ボンドみたいなもので作りました。
左から、わかりにくい写真ですが、シーラスの次にオーナーになった、FINクラスJPN163です。オリンピックに行きたかったのですが、乗り始めてそんなたいそうな事と思うようになりました。一応国体にも行きましたが。この頃小松さんと一緒に練習したりレースをしたりしていました。初めは微風では彼に勝てたのですが・・・。右は始めてスキッパー待遇で乗ったクルーザー明日香、油壷の奥はまだ三崎マリンなんか出来ていませんね。
始めてオーナーとなったクルーザー、APPLE PIEです。ヤマハR&C21という幅のひろい洗面器みたいな船です。日本から3年ほど消えていた後で、ヨットに復帰して、乗せて頂ける船は色々有ったのですが、家族と乗れる船がほしいと思って、何しろお金がなかったので、まず置き場代を払える場所を探しました。千葉県は木更津、年間1フィート12000円です。実に今も変わっていません。それから中古の船を捜してもらいました。前のオーナーがレースに使っていたので、ジブも4枚スピンも2枚あって、楽しませてもらいました。初めの年は小学校に行くか行かないかの子供2人と、奥さんの4人で、クラブのポイントレースを皆勤して、年間確か2位だったと思います。ヨットに長く乗っていることを何も話さず、木更津に行ったので、後でばれた時には、皆さんにからかわれました。アップルパイというのは、名前を考えていたのが、木更津からの帰り、マックで食べていた時だったので、ロゴまでマックのアップルパイを内緒でお借りしました。
子供たちも小学校でサッカーを始めて、親父に付き合ってくれなくなってしまったので、これ幸いと、すこーしレースができるようになって、J24のフルーイ中古を手に入れました。ほとんどレースなんかした事ないような艇でしたが、セールを変え、キールを削って、90年には佐島で行われた全日本にも行きましたが、木更津の田舎者は参加することに意義があっただけでした。そのあと親父の残してくれた浦賀のコーチヤに移りました。相模湾に行く事も無く、もっぱらクラブレースを楽しみました。
3艇目のクルーザーは、始めて新艇を購入しました。横山一郎さんと、そのうち彼の船を作るといってから10年かかって約束を果たしました。オークレット26ですが、マストが1メートル高くて、ランナーのついた、クラブレーサー仕様です。内装はオリジナルのままなので、気分よく走れるファーストクルーザーとして、よく一人でクルージングにも出かけました。お金のことがあったのでしたかないのですが、体力を考えれると、今のSHARK Jと作る順番が逆のようでした。クラブのレースに力を入れている新しいオーナーに恵まれて、館山にお嫁に行きました。

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